「きっしいの旧東海道ウォーク」は、江戸日本橋から京都三条大橋までの五十三次(492km)を歩いて辿る一人旅です。安藤広重の絵や、弥次さん喜多さんの東海道中膝栗毛を参考に、江戸時代の旅人の気持ちを味わいます。会社勤めの為、3度に分けて旅をしました。 完結編は、「桜満開の中をゴールしたい」との夢のため、会社の人事異動直後なのに無理矢理有休を取って出かけました。期間は1999年4月3日(土)〜7日(水)の5日間、今回のスタートは第39宿・池鯉鮒(愛知県知立市)の手前10km。ゴールの京三条大橋(愛知県岡崎市)までは173km。お楽しみに。 (こういうスタイルで歩きました) |
●第1日 ’99年4月3日(土) 晴れ |
(前日夜新幹線で三河安城へ、安城プラザH泊) ↓ 新安城 ↓ 朝7時35分ホテル出発。 第39宿・池鯉鮒(愛知県知立市) 「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」 と在原業平が”かきつばた”を詠んだ無量寿寺がありますが、 旧東海道から離れているため訪問することができなかった。 ↓ 第40宿・鳴海(愛知県名古屋市) 桶狭間古戦場跡を通過。織田信長が今川義元を討ったところです。 間の宿・有松は、絞りの産地。広重の絵そのままの古くて立派な町屋が連なる。 鳴海城址は、街道傍の丘の上。桶狭間の合戦に登場します。 ↓ 第41宿・宮(愛知県名古屋市) 宮は熱田神宮の門前町。ヤマトタケルの草薙剣が御神体です。 七里の渡し場跡は、今や埋め立てによって運河のよう。昔は桑名まで渡し船で7里(27km)4時間の旅。 今は、地下鉄、近鉄を乗り継いで移動します。 (埋め立てで運河になってしまった七里の渡し) ↓ 第42宿・桑名(三重県桑名市) 七里の渡し場跡は、広々した揖斐川を望めます。 桑名城址は、桜祭りの真っ最中。徳川家康四天王の一人本多忠勝の銅像が立ってます。 18時05分、近鉄・伊勢朝日駅到着。本日歩行距離は、26.5km。 ↓ (電車で2駅戻って、桑名グリーンH泊) (夕食は、”はまぐり食道”で、時雨茶漬けと焼きはまぐりを食べる) ↓ |
●第2日 4月4日(日) 晴れ |
(電車で近鉄・伊勢朝日駅に移動) ↓ 7時30分出発。 ”笹井屋”で藤堂高虎命名の”なが餅”を買う。三滝橋のほとりで休憩して食べる。黒々とした鈴鹿山脈が望めます。ここは広重の絵に描かれているところです。 ↓ 第43宿・四日市(三重県四日市市) 四日市は、むかし毎月4のつく日、4日、14日、24日に市が立ったことから名づけられました。 日永の追分は、右東海道、左伊勢参宮道の分かれ目。右へと脚を進めます。 ↓ 第44宿・石薬師(三重県鈴鹿市) 佐佐木信綱資料館を見学。「夏は来ぬ」の作詞もしました。 石薬師寺という寺から宿名が付きました。 ↓ 第45宿・庄野(三重県鈴鹿市) 広重の傑作”庄野の白雨”はイメージ部分が大きいため、場所ははっきり特定出来ないそうです。また白雨なのに雨は黒い線で描かれています。 ↓ 第46宿・亀山(三重県亀山市) 歩いていると、旧東海道を走っているという50才台のおじさんに話しかけられる。夏の北海道縦断マラソン目指してトレーニング中とのこと。しばらく話して、おじさんは走り去る。おじさんを見て頑張らねばと元気が出てきた。 ↓ 亀山城址は、河岸段丘の上に。桜に包まれて美しい。 17時45分到着。29.7km。 (桜満開の亀山城) (坂をどんどん下って、亀岡第一H泊) ↓ |
< 後半へ続く > |