(後半)



●第3日 ’99年4月5日(月) 晴れ
第46宿・亀山(三重県亀山市)
 7時00分出発。
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第47宿・関(三重県関町)
 江戸時代よりもっとむかし鈴鹿の関があったことから、関という。
町並みは古い建築物が残りむかしの風情がある。
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第48宿・坂下さかのした(三重県関町)
 ”転び石”は、案内板もなく道端の畑の中にあった。直径2mの岩は何度かたづけても街道にころがりでたという伝説である。
”筆捨山”は、広重の絵にも描かれた。あまりに素晴らしい景観に絵師も筆を捨てたのでこの名前がついたそうだが、見たところ大したことなし。
”鈴鹿峠”は、標高357m、急な山道を登る。むかしは、箱根とならぶ難所だったことがうかがわれる。
絶壁の上には”鏡石”。山賊が山道をのぼる旅人を、岩鏡に写して待ち伏せたそうだ。しかし、平和な江戸時代には山賊などいなかったそうで、そのおかげで弥次さん喜多さんも安全に旅ができたのです。
(鈴鹿峠の鏡石の上から)
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第49宿・土山(滋賀県土山町)
 ”田村神社”は、鈴鹿峠の山賊を退治した坂上田村麿を奉る。
”うかい屋”で山菜そばを食べる。ご主人は、旧東海道活動家で、品川宿へ土山の松を植えに行った話など聞く。林の中の垂水頓宮跡を見る。”斎王群行”の宿舎跡である。内田康夫の小説にも出てきました。
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第50宿・水口(滋賀県水口町)
 16時15分到着。歩行距離25.5km。
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”枡又旅館”という300年前からの老舗旅篭に泊る。郷土史家のご主人に歴史の話を聞く。「甲賀は、”こうが”でなくて”こうか”なんですよ」と、甲賀忍者の話をしてくれる。
 (枡又旅館泊)
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●第4日 4月6日(火)曇り一時ドシャぶり
第50宿・水口(滋賀県水口町)
 7時50分出発。
水口城址を見る。徳川家光が上洛の際の居館として築いたそうだ。
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第51宿・石部(滋賀県石部町)
 銅山跡を見る。旧東海道にこんな山があるとはビックリ。
右手に近江富士の”三上山”が見えてくる。琵琶湖も近い。
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第52宿・草津(滋賀県草津市)
 突然雷が鳴ってどしゃ降りの雨。カッパを着て傘をさして進む。
市民会館で雨宿り。無料のマッサージ器にかかりながら「俵藤太の大むかで退治」の絵本を読む。
食堂”脇本陣”で食べた、うどん定食はコンブダシが効いていて旨い。関西の味である。
”草津本陣”はむかしのままの遺構をきれいに修復、大変立派。浅野内匠頭と吉良上野介が9日違いで止まった大福帳も展示されている。
(草津宿本陣は雨上がりで他にお客さんなしの貸し切り)
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 ”瀬田の唐橋”を渡る。橋の上の大蛇を俵藤太が踏んづけて渡ったことから、龍神様に大むかで退治を頼まれるのである。
膳所城を訪れる。琵琶湖に面していて、湖面がキラキラ輝く。
17時20分バス停丸の内町ゴール。歩行距離25.5km。
 (バスで浜大津へ、Hブルーレイク大津泊)
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夜、”琵琶湖疎水”と”石山寺”に夜桜を見に行く。魔が垣間見えるような桜の美しさに、足の痛みも忘れる。



●第5日 4月7日(水)曇り一時雨
第53宿・大津(滋賀県大津市)
 朝7時15分、京阪電車膳所本町駅から出発。
琵琶湖文化館そばは、大学時代バイトで土器の復元をやっていたところ、懐かしい。
トラックの行き交う”逢坂山”を越えて、山科へ。
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京三条大橋(京都府京都市)
 蹴上を越えると、桜にけふる京の町並みが見える。
昼11時40分に三条大橋を渡ってゴール。本日歩行14km。
江戸日本橋をスタートしてから、のべ17日。感想は「ホットしました」。
(三条大橋でゴールのガッツポーズ)
 
”哲学の道”の桜、”京都御所”の一般公開、”円山公園の枝垂れ桜”を堪能した後、新幹線で東京へ。
(京都御所の紫辰殿)



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