”伊賀牛”制覇!!
2001年4月11日”さくまあきら”さんオススメの、伊賀上野の「金谷」。 網焼き6500円+バター焼き6500円。 仲居さんが焼いてくれる。 ![]() |
| ●第1日 ’99年4月3日(土) 晴れ |
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(前日夜新幹線で三河安城へ、安城プラザH泊) ↓ 新安城 ↓ 朝7時35分ホテル出発。 第39宿・池鯉鮒(愛知県知立市) 「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」 と在原業平が”かきつばた”を詠んだ無量寿寺がありますが、 旧東海道から離れているため訪問することができなかった。 ↓ 第40宿・鳴海(愛知県名古屋市) 桶狭間古戦場跡を通過。織田信長が今川義元を討ったところです。 間の宿・有松は、絞りの産地。広重の絵そのままの古くて立派な町屋が連なる。 鳴海城址は、街道傍の丘の上。桶狭間の合戦に登場します。 ↓ 第41宿・宮(愛知県名古屋市) 宮は熱田神宮の門前町。ヤマトタケルの草薙剣が御神体です。 七里の渡し場跡は、今や埋め立てによって運河のよう。昔は桑名まで渡し船で7里(27km)4時間の旅。 今は、地下鉄、近鉄を乗り継いで移動します。 (埋め立てで運河になってしまった七里の渡し)↓ 第42宿・桑名(三重県桑名市) 七里の渡し場跡は、広々した揖斐川を望めます。 桑名城址は、桜祭りの真っ最中。徳川家康四天王の一人本多忠勝の銅像が立ってます。 18時05分、近鉄・伊勢朝日駅到着。本日歩行距離は、26.5km。 ↓ (電車で2駅戻って、桑名グリーンH泊) (夕食は、”はまぐり食道”で、時雨茶漬けと焼きはまぐりを食べる) ↓ |
| ●第2日 ’994月4日(日) 晴れ |
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(電車で近鉄・伊勢朝日駅に移動) ↓ 7時30分出発。 ”笹井屋”で藤堂高虎命名の”なが餅”を買う。三滝橋のほとりで休憩して食べる。黒々とした鈴鹿山脈が望めます。ここは広重の絵に描かれているところです。 ↓ 第43宿・四日市(三重県四日市市) 四日市は、むかし毎月4のつく日、4日、14日、24日に市が立ったことから名づけられました。 日永の追分は、右東海道、左伊勢参宮道の分かれ目。右へと脚を進めます。 ↓ 第44宿・石薬師(三重県鈴鹿市) 佐佐木信綱資料館を見学。「夏は来ぬ」の作詞もしました。 石薬師寺という寺から宿名が付きました。 ↓ 第45宿・庄野(三重県鈴鹿市) 広重の傑作”庄野の白雨”はイメージ部分が大きいため、場所ははっきり特定出来ないそうです。また白雨なのに雨は黒い線で描かれています。 ↓ 第46宿・亀山(三重県亀山市) 歩いていると、旧東海道を走っているという50才台のおじさんに話しかけられる。夏の北海道縦断マラソン目指してトレーニング中とのこと。しばらく話して、おじさんは走り去る。おじさんを見て頑張らねばと元気が出てきた。 ↓ 亀山城址は、河岸段丘の上に。桜に包まれて美しい。 17時45分到着。29.7km。 (桜満開の亀山城)(坂をどんどん下って、亀岡第一H泊) ↓ |
| ●第3日 ’99年4月5日(月) 晴れ |
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第46宿・亀山(三重県亀山市) 7時00分出発。 ↓ 第47宿・関(三重県関町) 江戸時代よりもっとむかし鈴鹿の関があったことから、関という。 町並みは古い建築物が残りむかしの風情がある。 ↓ 第48宿・坂下さかのした(三重県関町) ”転び石”は、案内板もなく道端の畑の中にあった。直径2mの岩は何度かたづけても街道にころがりでたという伝説である。 ”筆捨山”は、広重の絵にも描かれた。あまりに素晴らしい景観に絵師も筆を捨てたのでこの名前がついたそうだが、見たところ大したことなし。 ”鈴鹿峠”は、標高357m、急な山道を登る。むかしは、箱根とならぶ難所だったことがうかがわれる。 絶壁の上には”鏡石”。山賊が山道をのぼる旅人を、岩鏡に写して待ち伏せたそうだ。しかし、平和な江戸時代には山賊などいなかったそうで、そのおかげで弥次さん喜多さんも安全に旅ができたのです。 (鈴鹿峠の鏡石の上から)↓ 第49宿・土山(滋賀県土山町) ”田村神社”は、鈴鹿峠の山賊を退治した坂上田村麿を奉る。 ”うかい屋”で山菜そばを食べる。ご主人は、旧東海道活動家で、品川宿へ土山の松を植えに行った話など聞く。林の中の垂水頓宮跡を見る。”斎王群行”の宿舎跡である。内田康夫の小説にも出てきました。 ↓ 第50宿・水口(滋賀県水口町) 16時15分到着。歩行距離25.5km。 ↓ ”枡又旅館”という300年前からの老舗旅篭に泊る。郷土史家のご主人に歴史の話を聞く。「甲賀は、”こうが”でなくて”こうか”なんですよ」と、甲賀忍者の話をしてくれる。 (枡又旅館泊) ↓ |
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