きっしい神奈川県への旅

2001年3月17日(土)三笠公園&称名寺

 夫婦そろって、京急の快速特急に乗って横須賀へ。『グールMAN』で海軍カレーを食べた後、『三笠公園』へ。ここは日本海戦で東郷司令長官が乗っていた戦艦三笠の本物が展示されています。三笠の前には東郷司令長官の銅像。その風貌は沖田艦長そっくりで、二人揃って”宇宙戦艦ヤマト”のテーマソングを口ずさみました。

 
その後、京急金沢文庫駅へ。NHK大河ドラマ「北条時宗(ときむね)」にも登場する、北条実時(さねとき)(ピーター演)が作った、『称名寺』と『金沢文庫』を見に行った。ボランティアの説明員のおじいちゃんが説明してくれる。老後ボランティア説明員に憧れる妻は、「いいわねえ。私は何処の説明員になろうかなあ?」と羨ましそう。

 


温泉2泊!!(00年1月28〜30日)

 金曜日の夜から、妻と温泉2泊してきました。まずは『保険組合の伊豆山保養所』。部屋の広さは我が家の4倍(笑)。標高500mの部屋の窓からは初島の浮かぶ相模湾が絶景。そして料理は高級割烹クラス。うーむ、これでこの値段。あー会社員でヨカッタ。ニコニコ。
 土曜日は、根府川の『スパウザ小田原』。ヨーロッパ風スパリゾート。またまた窓からは相模湾が絶景。温泉、スパ、卓球、パットゴルフを楽しみました。あと、2日続けて、海から昇る日の出を見ました、「夫婦円満家内安全」。
 
(9Fの部屋の窓から小田原方向を見る、その手前が石橋山古戦場)


しとどの窟!!(99年12月31日)

 湯河原温泉に行ってきました。今回の”源頼朝おっかけ”は、まずは、”石橋山古戦場”。山あり谷ありのみかん畑の道に碑が立ってます、見下ろせば相模の海。ここで頼朝は10倍の敵と戦って敗れました。次は、真鶴の”しとどの窟”。港の側です。そして、湯河原の”しとどの窟”。山のずっと上の方、タクシーで片道3000円弱もかかった。しかし、ここは敗れた頼朝が5日間隠れていたというイメージにはピッタリの場所でした。

(湯河原のしとどの窟、密教の聖地でもある)




相模国国分寺跡を見る!!(99年8月8日)

 天平13年(西暦741年)聖武天皇は、全国50カ国に国分寺建立の詔を出しました。ここ相模国では今の海老名市に、七重の塔を含む国分寺と国分尼寺が建立されました。はるか昔の基台跡に立てば、摩天楼のような「国の華」たる七重の塔をアングリと口を開けながら見上げる古代人の気持ちになってしまいます。現代人が新宿の都庁を見上げるより、よっぽどビックリしたことでしょう。

(写真は、駅前の復元七重の塔)


旧東海道ウォーク ●第1日 1998年4月29日(祝) 晴れ
第2宿・川崎(神奈川県川崎市)
 午後1時半、多摩川の六郷大橋を渡る。江戸時代は渡し舟だった、当時も川崎大師への参拝客で賑やかだったそうです。川崎(日本橋より17.6km)を通過。川崎宿は1623年に出来た53番目の宿場、それまでは東海道52次だったのです。
 ↓
 午後3時、鶴見到着。ホテルがまだ決まっていないので、駅前の喫茶店から”るるぶ神奈川”を見ながら近くのホテルに電話する。本日の歩行距離は、20.4km。”鶴見パールホテル”にチェックイン。一泊8505円(税込み)。
 ↓



●第2日 1998年4月30日(木) 晴れ
 朝6時30分、鶴見出発。
”生麦事件碑”通過。幕末に生麦事件のあったところだ。
 ↓
第3宿・神奈川(横浜市神奈川区)
 朝7時半、通い慣れた会社のそばを通過、朝早いので会社の同僚には会わない。いつものチビ犬と遊んで、顔をペロペロ舐められた。
 朝8時、神奈川(日本橋から27.4km)を通過。今の横浜駅周辺は、江戸時代はまだ海の中だった。北斎の”神奈川沖波裏”などを見ると良く分かりますね。
 ↓
第4宿・保土ヶ谷(横浜市保土ヶ谷区)
 午前9時20分、保土ヶ谷(日本橋より32.3km)を通過。箱根駅伝でも有名な権太坂ですが、旧東海道の”権太坂”はさらに急な上り坂です。
 東海道53次(初めはは51次)は、1601年に徳川家康が伝馬制を初めたことにより生まれました。伝馬制とは、宿場ごとに幕府のための運搬用の馬を用意して置くことです。江戸の幕府から京都の朝廷にお中元を送るときも、馬の背中にくくりつけられたお中元の荷物は、宿場ごとに次の馬にリレーされながら京都まで運ばれたのです。”駅伝競走”もこれが語源ですね。
(ごんたざかはかなりの急な上り坂)
 ↓
 午前11時、ロイヤルホストでランチを食べる。ついでに今晩の宿の予約もする。靴をぬいでくつろげるのが嬉しい。ファミレスは江戸時代で言うと茶店かな。コンビニは雑貨屋。コンビニもトイレを貸してくれるし、飲み物も買えるし重宝します。
 ↓
第5宿・戸塚(横浜市戸塚区)
 昼12時10分、戸塚(日本橋より41.1km)を通過。”お軽勘平の戸塚山中道行の場の碑”通過。歌舞伎の仮名手本忠臣蔵は観たことがあるのだが、この幕は見ていないのが残念。
 ↓
第6宿・藤澤(神奈川県藤沢市)
 午後2時40分、藤澤(日本橋より48.9km)に到着。この辺りまで来ると、庭にでっかいこいのぼりがはためいている家がある。もうすぐ子供の日ですね。午後3時、藤沢グランドホテルにチェックイン。一泊9900円。今日の歩行距離は、27.9km。夕食にラーメン屋を2軒ハシゴする、まだまだ元気だ。
 ↓



●第3日 1998年5月1日(土) 快晴
 朝6時30分ホテルを出発。けっこう晴れている、逆に歩くには辛いかも。
 ↓
第7宿・平塚(神奈川県平塚市)
 9時40分、平塚(日本橋より62.6km)を通過。友人が子供連れで車で応援に来てくれる。カメラを向けられたのでポーズを取る。
(広重の絵と同じ山並み)
 ↓
第8宿・大磯(神奈川県大磯町)
 午前10時40分、大磯(日本橋より65.5km)を通過。青い海を見る。今でも、松並木が残っていてイイところですね。
 ↓
 午前11時30分、デニーズでランチを食べる。今日は足が好調なので一気に小田原まで行くぞ。右足君と左足君が「もっと、もっと歩きたい」と言っているのが分かる。普段は、頭君や、両手君ばかり活躍して出番が少ないもんね。
 ↓
第9宿・小田原(神奈川県小田原市)
 午後2時30分、酒匂川を渡る、川の向こうには箱根の山々が望めます。江戸時代には、旅人は川越人足に肩車されて渡ったのです。
 ↓
 午後3時15分、小田原(日本橋より81.1km)に到着。小田原城をかたどったういろう屋さんを見る。携帯電話の電池が少なくなったので、Docomoのサービスショップで充電セットを購入。午後4時、”ホテルとざん小田原”にチェックイン、一泊6300円。本日の歩行距離32.3km、新記録だ。
 午後5時半、友人と車でラーメンを食べに行った。まだまだ元気だ。今日泊ったホテルは面白かった。門限が夜12時、開門は朝6時半。なぜなら、おじさん一人で帳場(←フロントというより)をやっているからです。あと部屋がコイン式で、2時間100円というのもレトロで良かった。
 ↓
●第4日 1998年5月2日(日) 雨
 朝6時30分、開門と同時にホテルを出発。明日は天気が崩れると朝の天気予報でいっていた。なんとか今日中に一気に箱根山を越えたいものだが、江戸時代の人でも大変だったらしい。
 ↓
 雨が降って来たので雑貨屋で傘を買う。黒い傘と赤い傘があった、人目に付くように赤い傘を買う。道は箱根にかかり、上り坂はどんどん急になっていく。朝9時、畑宿通過。ここからが最難関、上り階段が一番キツイ。雨は降ったりやんだり。
 ↓
第10宿・箱根(神奈川県箱根町)
 午前10時25分、箱根を通過。このペースで行けば、午後には三島に到着出来るだろう。と思ってすぐに、どしゃ降りの雨、芦ノ湖はモヤの中。遊覧船は波荒く欠航中。
(雨に煙る芦ノ湖)
 ↓
 午前11時35分、箱根峠は深い霧の中。進むべき道が分からない、さらに行き交う車から私が見えないので大変危険。大ショックだがここで断念。箱根峠のファミリーマートからタクシーを呼んで、三島まで移動。
 ↓
第11宿・三島(静岡県三島市)
 昼12時25分、三島(日本橋より112.4km)に到着。ふもとまで降りてくると雨は降っているが明るい、振り返る箱根山は雲の中。ショックで写真を取り忘れる。三島名物うなぎの”うなよし”でお昼を食べる。1時20分、再出発。
 ↓
第12宿・沼津(静岡県沼津市)
 午後2時40分、沼津(日本橋より118.3km)に到着。3時、”沼津ホテル”にチェックイン。一泊6300円。本日の歩行距離25km、タクシー走行距離12.3km。夜は市場にお刺し身を食べに行く。
 ↓